「旬刊経理情報」連載 女性エグゼクティブの法則 ~Winning Womenから後輩たちへ~

第34回 軸をぶらさず、挑戦の連続で、すべての点は必ずつながる

2016.05.11
小川 理子
パナソニック(株) 役員 テクニクスブランド事業担当/アプライアンス社 常務
ホームエンターテインメント事業担当(兼)ホームエンターテインメント事業部長(兼)テクニクス事業推進室長

Winning Women Networkの企画・協力で、旬刊経理情報に『女性エグゼクティブの法則~Winning Womenから後輩たちへ~』を連載しています。2016年1月1日号に掲載された記事をご紹介します。

私は現在の職責に至るまで、同じ会社に勤めながらも、まったく違う3つのキャリアを経験してきました。最初が音響機器の研究開発で15年間、2つ目がネットワークサービスの事業推進で7年間、3つ目がCSR・社会貢献で6年間、しかし必ずしも順風満帆ではありませんでした。入社時の希望は、音楽をこよなく愛し演奏もする私自身の個性を発揮できる音響技術者としての仕事であり、幸いにも希望がかない、20代は一心不乱に夢に向かって仕事に没頭することができました。しかし、経営環境の変化で組織が解散するという最初の壁にぶつかり、自分の行く先について、このまま仕事を続けるか否か、非常に悩みました。そんなときに、私の上司でニューオルリンズジャズのドラマーに声をかけられ、一緒に音楽演奏をすることになりました。

音響技術者として快適な音楽空間をつくり、世界中の音楽文化の進展に貢献する、というのが新入社員のときの私の夢であり、30代には仕事と音楽演奏の両立という自分の軸を確立する、ということが目標になりました。仕事の内容もゼロから自分で考え、仲間に持ちかけて一緒に道を切り拓こうと、手本のない手探りの状態をむしろ楽しみながら前進していました。私のなかでの両立とは、仕事を100%の力でこなしながら、音楽演奏の完成度を高めるもの、つまりどちらも中途半端で終わらせない、というものでした。そのためには、体力も気力もへとへとになるまで使いましたが、中途半端ではない両立を決めたことが私自身の大きな原動力になったと思います。

1997年に最初のアメリカジャズツアーを経験し、そのツアーのご縁で2000年からアメリカフロリダのジャズフェスティバルに招聘していただくようになり、2003年には、アメリカのジャズレーベルから私がバンドリーダーとしてリリースしていただいたCDが、英国ジャズ専門誌『Jazz Journal International』の批評家投票で1位を獲得しました。さらに2006年には、日本のメジャーレーベルからもCDをリリースしていただきました。この間、仕事のうえでは、音響分野から2つ目のキャリアであるネットワークサービス分野に異動し、音楽・音声や静止画、動画の配信に関わる仕事をしていました。しかし、この組織も解散するという事態に直面しました。

2008年にCSR・社会貢献分野に異動してからは、モノづくりに直接関わる部署ではなかったために、仕事の質がまったく違うものでした。しかし、ここでも自分の個性を活かし、さまざまなステークホルダーとのコラボレーションを積極的に推進しました。

これまで多様なキャリアを積んできましたが、常に、人の感動とは、快適な生活とは、人と社会の進化とは、社会課題を解決するとは、どういうことなのか、を自分の軸をぶらさずに考え、音楽を奏でるかのように多様な他者との協働により挑戦を続けてきました。今、ホームエンターテインメント事業担当としての仕事は、これまでの点がすべてつながった、と感じています。これは、多くのプロミュージシャンに教えられた「Keep Play」の実践であるとも考えており、意識してこれからも取り組んでいきたいと思っています。

(「旬刊経理情報」2016年1月1日号より)

小川 理子

小川 理子(おがわ・みちこ)
パナソニック(株) 役員 テクニクスブランド事業担当/アプライアンス社 常務
ホームエンターテインメント事業担当(兼)ホームエンターテインメント事業部長(兼)テクニクス事業推進室長

1962年12月4日、大阪府生まれ。1986年3月慶應義塾大学理工学部卒業後、同年4月松下電器産業(株)(現パナソニック(株))へ入社。音響研究所配属後、eネット事業本部、CSR・社会文化グループのマネージャーなどを経て、現在に至る。